達人ストーリー

運を動かすと書いて運動 彼女にしかできない「かなぷーヨガ」とは?

坂本 佳那さん(ヨガの達人)

何やら今、石巻でヨガが流行っています。石恋でもヨガの達人が続々エントリー中。石巻で最も元気なヨガ講師、かなぷーこと坂本佳那さん。実は、三段跳びの元日本チャンピオン。怪我がきっかけで陸上競技を引退したかなぷーは、震災をきっかけに、スポーツでみんなを元気にしようと、それまでやったことなかったヨガのインストラクターになりました。でも、ヨガで一番救われたのは実は自分だったそうです。

プロフィール

宮城県生まれ宮城県育ち。元気いっぱいのアスリート。2006年には女子三段跳びで全日本チャンピオンとなる。東日本大震災後、『ヨガは石巻を元気にする!』と直感しヨガを学びはじめ、ヨガ棒と出会う。震災後うつむきがちになった石巻をハッピーにする魔法の棒と確信して、石巻を中心にレッスンを開催中。また、自身のアスリートの経験から地域のスポーツ少年団や部活動などでヨガを取り入れることを提案、アスリートに向けたレッスンも行う。

かなぷーヨガの誕生、
震災がきっかけでヨガ講師に

生まれも育ちも仙台。震災のときは蛇田に住んでた。蛇田小学校で、避難してる子どもたちと遊びはじめて。ボランティアというわけじゃなくてね。どちらかというと、子どもに遊んでもらっている感じ(笑)。でも、子どもは走れるけれど、おばあちゃんたちは走れない。みんなでカラダを動かせることで何かできないかなと思って。それでヨガやってみっぺと思って、はじめてみたの!。だから震災がきっかけ。ヨガだったらみんな元気になるんじゃないかなって思って。ヨガ歴ゼロだったけど(笑)。運動はずっとやってるから、身体が元気なのと心が元気なのは繋がってるのは知ってた。それで、ヨガ講師になるって決めて、どうせやるんだったらちゃんと勉強してやりたいと思って、2012年から仙台のヨガのインストラクターのスクールに1年通って。勉強しながらやりはじめて、卒業と同時に教室を始めて、今3年目。

かなぷーのヨガ教室は、いつも笑いが絶えません。

陸上競技からの引退

25歳のときに怪我した。小学校の体育の授業の時間のゲストで呼ばれて、走り方のお手本を見せるときにその場で立てなくなって。大学を卒業してからも3年間リレーをやってた。だから、それまで陸上をしないという人生がなかった。何とかしなくちゃと思った時、ピント思いついたのが「ジャマイカに行こう!」ってことだったの。それで、ジャマイカに行ったの。ジャマイカにウサインボルトが居たから。世界を見たい、世界一速い人を見たいと思って。ジャージとTシャツで、ひとりで行った。ジャマイカの孤児院で走ってたら子ども達に声をかけられて。走れればどこでも友達ができるんだなって思った。キングストンの大学の中に、ボルトが作った競技場というのがあって。たまたまボルトのコーチをしてる方に逢えた。残念ながら、ボルトは合宿に行っていてそこにいなかったけど。でも、ジャマイカの人たちの走り方はすごかった。彼らは走る身体をしてる。ウォーミングアップから見とれてしまった。ジャマイカから帰ってきて、自分の中で、楽しかったって終わりにすることができた。言葉も通じないちびっこたちと喋れて一緒に走って、楽しんで来て。それで25歳で陸上選手を引退しようって決めた。引退して大阪から宮城に帰ってきて、ダーリンと結婚しました♡(笑)。震災のあとに、改めて「家族って大事だなぁ」と思ったよ。ちゃんと結婚して家族になろうと思った。私、陸上でがんばれたのは、お母さんのごはんを食べていたからだと思っていて。全日本優勝の時にもらった花束も母にあげたくらい感謝してる。家族、大事です!!

石巻の総合体育館やイオン石巻での定期レッスンの他、老人会や町内会、美容室やカフェにも出張してヨガ教室をしています。

正直に言うと、陸上を辞めた後、抜け殻になったような感じだったの。ヨガの講師を始めるまでは自分が何をしたらいいかわからなかった。でもヨガと出会えた。ヨガをやり始めて救われたのは自分自身なの。スポーツで被災地を元気にしたいって思っていた。

震災のあと、2011年にラグビーの選手が来たのね。そこで、女子ラグビーの選手にならないかって声をかけられたの。私が子どもたちと走っていたときの姿を見てくれて。それで東京までプロテストを受けに行ったんだけれど。結局、テストを受ける一週間前にまた走れなくなった。怪我していたところが再発してしまって。その時は、もう1回選手になれるかもとすごく期待した。でも、あの頃みたいに走るのは無理だなと思って。やっぱり今の私にはできないんだって、二重に落ちこんだ。でも、面接には行ったの。なんで面接に来たのか伝えたくて。スポーツがみんなを元気にするというのをわかって、挑戦している段階で(怪我が)再発したという気持ちだけは伝えたいと思って。震災の後にボランティアに来てくれた人たちにはすごく教えられた。身体が健康なことってこんなにすごいんだって。

「運を動かす」と書いて運動

走れなくなったときの衝撃は凄かった。走れない私なんてダメダメだって思った。でも、ヨガを始めて、自分を見れたときに、怪我をして自分を見失っていたことがわかった。それで、健康に生きているからそれでいいんだという単純なところに落ち着いた。震災のあとに、体調を崩したの。PMS(月経前症候群)と言って、私の場合、運動をやめて筋量が低下すると情緒不安定になった。ヨガをしてから、それが改善されたのもわかった。

ヨガで回りのヒトが元気になったら、自分自身が救われた。みんなに元気をもらったから。こっちで元気をもらって、また別なレッスンに行って、そこで元気をもらって、それでできている。幸せですね(笑)。

私がやっているのは、大きいフィットネスとかスポーツクラブとかではないからすごく自由。マダム達との口ヨガという名のお茶会(笑)だったり、お昼から海鮮丼食べたりビール飲んだり(笑)。棒を使ったヨガ棒レッスンでは、姿勢を正すことをメインにやってるよ。姿勢が正されると、目線が変わる。ちょっと上を向くと元気になってくるの!!ヨガっていろいろあって、何ヨガやってるの?って聞かれるけど、かなぷーヨガ(笑)。
運を動かすと書いて運動。ちょっとイヤなことがあったら運動しちゃえって。全力ダッシュでも、立って呼吸するだけでもいいから、そのきっかけのひとつがヨガ。基本的な日常的な動作を見直すこと。今になって、陸上もそのひとつだなって思う。

これぞ繋がるヨガ!

いい!と思ったから石恋に来た

いいと思ったものに対してはすぐ行動する。陸上もそうだった。3段跳びだと思って。ピンとくる。ジャンパーになる!って思って。自分がやりたいと思う「わくわく」に忠実になるって決めてる。石恋も楽しそうと思って説明会に来た。前回の石恋でたまたま、東京から来てくれた人が居たんだけど。横浜でやったレッスンにも来てくれた。お寺ヨガでは、仮設住宅からも来てくれた。当日、ぞくぞくとみなさんが来て、つながるなあと思った。石恋から普段の教室に通ってくれるようになった人もいる。

石恋は、私自身もまちのために何かをすることに加われているのがうれしい。石恋に参加するようになって、前より石巻とか地元を意識するようになった。大手のスーパーに行かず、地元のものを買うようになったりとかね。石巻で生きてるというか生きてくというか、そういう感じ。こないだ、近所のお店で油揚げをおまけしてもらったよ(笑)。あ!お肉屋さんでレバーもおまけしてもらった!(笑)。

「わくわく」に忠実になるポーズ?

生きていることがヨガ

継続は力なりっていうけど、健康に生活するってことを、みなさん継続している。まずはそこだべ(笑)。ヨガの語源には「繋がる」って意味があって。まずは自分の「心と体のつながり」、そして「人と人とのつながり」。ゆっくり深呼吸して、大切な人と笑って毎日を過ごす。生きていること自体がヨガなんだべなあと思うな。アスリートの自分も、ヨガインストラクターの自分も大好き!!(笑)って思えるのは大好きな人達に支えられているからだと改めて思う。ん~~~HAPPYだ!!(笑)。

これからも自分も含めてみんながワクワクできるようなことをやっていきたい。石巻からオリンピック選手!。世界に羽ばたくアスリートを生み出す!とか。ヨガをトレーニングに取り入れて、エッセンスのひとつとして。子どもたちの競技人生が長くなるようにとか、怪我をなくすとか。引退する選手たちへのこころの面での働きかけとしてもヨガはいいと思う。やりたいことはたーっくさんあるから、まずは自分自身と家族の健康を大切にして、どんどん可能性を広げていきたい。

支えてくれる家族と幸せに暮らしていければハッピー!

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