達人ストーリー

合氣道で目指す「万有愛護の精神」とプラスの社会づくり

桑島 乙彦さん(合氣道の達人を目指している達人)

桑島さんは、今の石巻にこそ合氣道の教えが必要だと言います。2年の修行を経て帰ってきた石巻で教室をスタート。合氣道を広めたくて石恋に参加しました。震災の時、石巻市役所職員だった桑島さんは、震災後の遺体安置所での経験やその後の激務の中から、自分の目指す生き方を再考し、その結果として合氣道の道を選びました。自分の使命とは?自分の役割とは?そして、この石巻で自分のできることとは?桑島さんの目指す万有愛護(ばんゆうあいご)の精神とは?桑島さんの思いは、大人達はもちろん子ども達の中で、実を結び始めています。

プロフィール

石巻市と登米市で合氣道教室と、合氣道に基づく健康法の指導やボディケア(氣圧)を行っております。東日本大震災後、2012年3月に17年間勤めた石巻市役所を退職。その後、心身統一合氣道総本部(栃木県市貝町)にて二年間寮生活をしながら、心身統一合氣道と氣の健康法を学び、2014年4月に心身統一合氣道石巻教室を開設。現在は石巻市内3か所(しらさぎ台コミュニティセンター・向陽地区コミュニティセンター・石巻市総合体育館)と登米市迫町佐沼(迫にぎわいセンター)で指導しております。また、「和と氣のリラクゼーションルーム薫風(くんぷう)」にて、氣の健康法の指導と氣のボディケアを行っております。

ある日の稽古風景より。教室には老若男女、様々な方が通われています。

震災を経て見つけた合氣道の道

44歳。昭和46年生まれ。震災のときは、市役所の職員で蛇田支所に勤務していました。毛布を中里小学校に持って行ったら、胸くらいまで浸水してしまって、そこから離れられなくなって、急きょそのまま避難所係りになりました。その後、10日間くらい、遺体安置所の受付もしました。たくさんの行方不明者のご家族が来て、お子さんを探しにくるお母さんも居て、聞き取りしたんですが、辛かったなあ。。。あと、遺体の写真を掲示板に貼る仕事。。。その時は感情を殺していましたね。。。
ある方の落とし物の財布の中に、行方不明の息子さんの写真が入っていたんですね。たまたま、その息子さんのことを知っていて、合氣道でお世話になった方でした。もしかしたら、それが、何かのメッセージで、今に繋がっているのかもしれません。

蛇田支所の窓口の再開は4月12日でした。蛇田は市内でも被害が少なかったので、一番来やすい場所だったと思います。仮設住宅の件や罹災証明書の件、ごみのこと、避難所のこととか医療費、戸籍の届けなど、さまざまな手続きにたくさんの人が来てすごい行列でした。あの時、みんなすごく大変で、どこにもやり場のない不満を抱えていました。市役所の職員もかなり辛い思いをしたと思います。自分たちも同じように被災しながら。震災後は、いいところも悪いところも含めて、人間の本性を見たように思います。

震災を目の当たりにして人生を考えました。もともと、自分の人生はこのままでいいのかと漠然と考えてはいました。本当の豊かさって何だろうかと。そして、合氣道がある!と気付いて、合氣道の先生ができたらいいと思ったんです。妻に相談したところ、お互い新しい道を進むこと決め、2012年3月に退職しました。辞めるとき、周りからは、もったいないと言われました。でも、同じ市役所の仲間からは、やりたいことがあって素晴らしいねって逆に応援してもらいました。私が合氣道の道に進めたのは直接的に被災していないからというのもあると思います。そのことに感謝しています。

「心身統一合氣道」との出逢い

合氣道は、震災の4年前、2007年の5月に始めました。長い間していた草野球を引退したのを機に始めました。イオンの教室に週に1回通い始めたのが最初です。だから、合氣道歴は8年、今の流派に移ってからは4年です。震災のあった年に、この「心身統一合氣道」に出逢いました。子ども教室のお手伝いをしたときに、子ども達にこの教えを伝えたいなあと思ったんです。何か縁を感じたんですね。「心身統一合氣道」は、天地と一体となることが修行の目的です。絶対的天地、すべての大元が氣であり、その氣に合っするの道で合氣道なんです。また、すべてのもの、草も木も動物も我々も、天地の氣から生じている。すべて同胞です。ですから人類だけを愛するのではなく、すべてのものを愛する、万有愛護の心を自分の心とすることが、合氣道を稽古する者の目標になっています。ちなみに合氣道の技で、敵対する心で技をしようとすると、うまくいきません。相手にも嫌がられます。相手を思いやる万有愛護の心でするときれいな技になります。相手も嫌な思いを抱きません。

仕事を辞めてすぐ、栃木県の「心身統一合氣道」の本部で2年間の指導者育成コースに通いました。寮生活で、生徒は私と、70代の方、シンガポールの女性など6人でした。道場のお手伝いもしながら、氣圧(氣の健康法・整体)も別コースで受けて、認定資格もいただきました。石巻に帰ってきて、2014年の4月から、向陽コミセン(※)で合氣道教室をスタートしました。

(※)石巻市向陽地区コミュニティセンター

「子ども達の未来がいい方向に向かうように」それが桑島さんの願いです。

合氣道では、敵対する心で技をしようとすると、うまくいかないそうです。

震災後の石巻を
プラスに導くお手伝い。

栃木にいるときから石恋のことは聞いていました。達人として参加しようと思ったのは、教室を石巻市内で開いているということを皆さんにお知らせしたいと思ったからです。おかげさまで、石恋を通してたくさんの方々に入会してもらっています。会員が増えたということ以外には、人との出会いが嬉しい。他の達人さんとか、他のプログラムに参加された方や事務局の方々など、それが一番ですね。

震災後の石巻で、合氣道を通して、人の役に立てるようになりたいと思ったんです。栃木で稽古し学んでいるうちに、今の石巻に必要だと思いました。会員さんの心をプラスにするのが、合氣道教室の目的です。普段は、ちょっと恥ずかしいような、道徳的なことを合氣道の名のもとに話したり、リラックス講座をしたり、子育てについての相談を受けたり。何かの役に立てているものだなあと実感があるので、遣り甲斐があります。いじめを受けていた子が、合氣道をやってから自分に自信を持つようになったり、手のつけられない子だったのが、合氣道をやって落ち着いたり。そんなとき、やっていてよかったなと思います。子ども達の20年後、30年後が、いい方向に向かっていればいい。今がどうとかじゃなくて。

自分の心の状態も以前とは違います。前向きになりました。自分がプラスの心じゃないと人をプラスにすることはできないですからね。お酒も止めました。量も呑めたし、好きだったんですが(笑)。止めてから身体の調子がいいし、心の調子もいい。心身の感覚がよくなり、技もよくなりました。市役所を辞めてから10キロくらい痩せました。

合氣道は相手を思いやり、相手を尊重する、争わないやさしい武道です。これから、こんな合氣道の教えを広めたい。さまざまなところで、いろんな方と出会い、そして、みなさんに元氣になってほしい。みなさんの心をプラスにするお手伝いがしたい。ひとりがプラスになるとその周りの人もプラスになって、どんどん、プラスの心の輪が広がり、いい社会につながっていきます。万有愛護の精神ですね。そんなお手伝いをしたいと思っています。

石巻駅前のカフェバタフライにて。カフェバタフライでは、桑島さんの「氣のボディケア」体験も受けられます。

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